浜岡原子力発電所運転終了・廃止等請求訴訟弁護団より ~ご挨拶~

私たちは中部電力を被告とする浜岡原発の運転終了・原子炉の廃止等を求める裁判の弁護団です。静岡県弁護士会に所属する弁護士有志119名、愛知県弁護士会に所属する弁護士有志126名、他の弁護士会に所属する弁護士32名の合計277名(2012年12月11日現在)で構成されています。
弁護団を応援したいという気持ちを持って下さった方は、ぜひ「サポーター」として協力をお願いいたします。(サポーターの説明はこちら
裁判の日程や報告は、「裁判の予定と報告」からご覧下さい。

リレーエッセイ №1 弁護士葦名ゆき

2011 年 7 月 7 日 木曜日 投稿者:浜岡原発運転終了・廃止等請求訴訟弁護団

はじめまして、静岡県弁護士会に所属しており、本訴訟弁護団の一員でもある葦名ゆきと申します。

私は、平成20年2月に、静岡県弁護士会に登録しましたが、 それ以前は、弁護士過疎対策のために設置された福島県相馬市にある相馬ひまわり基金法律事務所の初代所長として2年半赴任しておりました。

2年半という短い期間住んでいたにすぎませんが、私にとって、相馬は非常に愛着がある大好きな土地です。弁護士過疎地域ということでできた事務所ですから管内人口12万人のところ、私を含め弁護士が実働2人しかいないという状況で仕事をしておりまして、激務でしたが、その分、弁護士冥利に尽きる体験をたくさんしました。

赴任中は、住めば住むほど好きになる土地に法の支配を確立したいという一心で、住民の方々の笑顔と涙に励まされ、濃密な日々を過ごしていました。登録する弁護士も随分増え、現在、相馬支部管内には8人の弁護士がおります。
私としても、相馬支部管内で弁護士という存在がどんどん市民に認知されてきたことを実感していた矢先、大震災が起きました。

いうまでもなく、我々の仕事の大前提、そして法の支配の大前提は、そこに人が住んでいること、生活している人がいることです。

福島の場合、津波以上に、原発事故が、その大前提を根本から崩しました。
自分の二年半も津波で流され、原発に汚染された、そんな悲しみと怒りが今の私を動かしております。ここで何も行動しなかったら、自分は何のために弁護士になったかわからないという気持ちでもいます。

以下は、本訴訟の提起にあたり、上に述べた経歴と想いを持つ私が、提訴日に感じたことを書き止めた文章です。本訴訟の意義と弁護団の決意をお伝えできればと思います。
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7月1日、「浜岡原発運転終了・廃止等請求訴訟」が静岡地方裁判所に提訴された。
是非、是非、見て頂きたい弁護団のHPはこちら↓

http://www.hamaokaplant-sbengodan.net/

原告団は、一般市民25名に加え、地元静岡県弁護士会の弁護士9名も入っている。
同種訴訟では、今まで例がなく、1日の提訴記者会見でも、これまで原発訴訟に取り組んできた東京弁護団からも驚きをもって言及があった極めて異例なことだが、この9名の弁護士は、「弁護団」の主要実働部隊であると同時に、「原告」でもある。

弁護士として、つまり仕事としてこの訴訟を請け負うわけではない、一人の人間として、浜岡原発を何としても止めなければならないという気迫の使命感がこの原告団の布陣に漲っている。

弁護団は、計123名、うち静岡県弁護士会所属弁護士が113名、実に県内の弁護士総数の4分の1にも上る弁護士が、名を連ねている。福島の被災地支援に時間を取られており、実働部隊に入ることを断念した私も、弁護団には当然参加させて頂いている。

7月1日の記者会見では、用意した席がすべて埋まり立ち見もでるほどのマスコミ関係者の前で、本訴訟の意義とポイントが、弁護団長や弁護団事務局長、原告団に加わった市民から熱く語られた。

・3.11前の原発訴訟は、一部の奇特な人、特別な人が勝手にやっている訴訟というあしらいをされ、国にも「複数同時故障は想定できない」などと根拠の乏しい理屈で、排斥されてきたが、今回の訴訟は、特別な人による訴訟ではない。3.11後、市井の一般市民が、原発の安全神話の崩壊を目の当たりにして、自分たちの生活を守るため、未来を守るために立ち上がったことに最大の意義があること

・単に原発の運転終了を求めるに止まらず、請求の趣旨では「核燃料を最大限の安全を確保して保管・冷却せよ」「解体撤去しない方法により廃止措置を行え」と現実的な廃炉に向けた方法を適示していること

・福島原発の未だ収束していない惨状を受け、今、この時期に、浜岡原発を抱える地元静岡の弁護士が地元静岡に住む裁判官に判断を迫ることに無限の意味があること

・・・彼らの魂の込もった言葉は、聞いている人の胸に必ず伝わったはずだ。

原告団に名を連ねている主要実働部隊の弁護士たちは、静岡県弁護士会の精鋭揃いだが、7月1日の提訴に向けて、文字通りの不眠不休で、訴状を作成してきた。ページ数は、実に206頁。先に挙げたHPにも掲載されているが、分量に気圧されることなく、読み始めてほしい。

原子力発電所の仕組みから丁寧に説き起こされおり、文系人間の私にとっても、頭と心にすんなり沁み渡る文章が続いており、読み始めれば、文章の長さ、内容の専門性に対する抵抗感は消え去るはずだ。

福島の惨状に胸をえぐられ続けてきた私は、「第2章 福島第一原発で起きたこと」以下は、悔しさと悲しみと憤りが混じり合い、途中から、涙が止まらなくなった。

・3.11の2年も前に、原子力安全・保安部会で貞観地震に対応した地震と津波対策の見直しを具体的に再三、求められていたのに、国は何の根拠もなく「研究課題」、「引き続き検討する」としか答えず、何の対策も打たなかったこと(訴状では、「国や電力会社の『想定』とは『自分たちに都合の悪い事実を無視する』という『想定』にしかすぎないことが如実」と鋭く批判されている)

・原発事故後の避難指示区域、警戒区域の設定により市民生活に「兵糧攻め」ともいうべき非人道的な被害が起きた上、土壌汚染、海洋汚染、子供たちを含む人的被害等、放射能の与えた被害は極めて甚大で取り返しのつかない被害であり、それが現在も継続していること

・これまでの原発の安全神話は「シビアな想定によって存在しうる危険性があっても、それを考慮した場合には原発の建設、運転ができなくなるため、その危険性は考えないことにした」という意味であり、「まさに『神話』であった」こと(「」内は訴状の引用)

・浜岡原発第一次訴訟では、原子力行政の最高責任者である原子力安全委員会の斑目委員長が出廷し、「非常用ディーゼルが2台同時に動かないという事態は想定しない、どこかで割り切らないときりがない」という驚愕の証言をしていたこと(訴状では「原発事故の重大性・広汎性・危険性を考えたときに、軽々と『割り切る』ことなどできないし、本来『割り切る』べきものではない」と批判している)

訴状に赤裸々に記載された無責任な国の体質は、驚くべきことに今なお、まったく変わっていない。
原発事故が今なお収束していないのに、「原発の安全性には国が責任を持つ」と述べ、原発設置自治体を全国行脚している経済産業相の行動には、怒髪天を衝く怒りで一杯である。
あなた方は、責任を持ったはずの福島で、どれほど多くの人が今なお生き地獄に曝されているのか分かっていますか?
全国行脚する暇があれば、原発事故被害者のために何ができるかを一分一秒も無駄にせず考えてほしい。
この期に及んで、なお、国民の命と安全と未来より、大事にしなければならない「原発再稼働」なんてあるのか?
事故を受け、なお、国民をもてあそぶ国には心底失望している。

・・・でも、私は、国を責める気持ち以上に、自分を責める気持ちが強い。

私は、訴状を読んでいて、自分は、どうして、今まで原発の危険性に無関心だったのだろう、なぜ、知ろうとしなかったのだろう、なぜ、こんな国民の命をもてあそぶかのようないい加減な安全対策しかしていなかった国に何の抗議もしてこなかったのだろうと自責の念で心が溢れかえった。

私は、2年半相馬市に赴任して、弁護士を求めている方々のために働きたいと心底思って毎日過ごしてきたはずだった。
でも、私が弁護士として本当にやらなくてはいけなかったことは、本訴訟の浜岡のように福島にある原発の運転を終了させるための訴訟だったのではないか。

悪質な貸金業者から守ったはずの命も、請負代金請求で守ったはずの経済的な心配のない平穏な日々も、離婚後に財産分与で勝ち取った家も、原発事故で故郷を失ってしまった今、何の意味があったのだろうか?
事務所を訪れた市民の方々の命と暮らしを保障する基盤がこんなにも脆弱だったことに無関心だった自分が情けない、悔しい、悲しい。

だからこそ、今、福島のために何もしなかったら何のために弁護士になったかわからないと償いの意味を込めて動いている。

同じ思いを、ここ静岡では二度と繰り返したくない。
浜岡原発を何としても廃炉にするために、原告団と心を一つにして頑張りたい。

どうか、皆様、浜岡原発運転終了・廃止等請求訴訟をご支援ください。
関心を寄せ続けてください。
心からお願い申し上げます。